ラオスで感じること。
ラオスにやってきた。
東南アジアの狭間の国。 知らない人も結構多いのではないだろうか。
日本の本州程度の国土に対して人口は約700万人、あの小さいシンガポールが500万人なので、それとあまり変わらない。
そんな感じでの国である。
ラオスもカンボジアと同じく貧しい国だが、雰囲気は少し違う。
この国には、ゆっくりとした時間が流れている。
そして、何もない。 何もないところが最大の魅力であると、人々は言う。
人々は基本的に優しく、ぼったくったりもあまりしない。
ここは、ストレスを感じることがほとんど無い、ゆっくりとした場所だった。
しかし、そんなラオスにも、発展の波が押し寄せている。
ラオスという国家は、実はベトナム、タイ、中国、ミャンマー、カンボジアの狭間にあって、地理的に言えば非常に重要な地点だ。
ラオスにおける、中国の影響はカンボジアにおけるそれと同じぐらい強い。
いたるところに中国語の看板を見ることができた。
しかしながら、この国にいると、発展とは何なのか、考えさせられる。そもそも、発展する必要があるのかと、さらに人々は国の発展を願っているのかと、、。
ラオスはラオスのままでいい気もしてくる。
カンボジアに比べれば、そんなに物が不足しているようには見えないし、治安も良い。
インターネット上で調べても、今後、急速な発展があるわけではないようである。
この国はこの国なりのやり方を探せばいいのではないかと、そう感じたのであった。
ぼろぼろの自転車に乗り、通学する生徒達。
なんだか、過去の世界に逆もどりしてきたのでは無いかと、錯覚を覚えるほどだった。
何かを得るには、何かを捨てなければならない。
ちょっとした、つぶやき程度で。
先週、成人式が行われた。
成人式で楽しむみんなの姿がTwitterやインスタグラムにアップされるのをみて、俺も行きたかったなあ、という気持ちが沸々と湧いてきた。
あんまりにも寂しいので、忘れないように文章に残しておこう。
なんでこんなに寂しいかっていえば、中学は紛れもなく、僕の今までの人生で最も楽しかった時だったからだ。
みんなに会いたかった。あの抑揚感を最後にもう一度、味わいたかった。
一緒に留学をしている友達も成人式に参加していた。
しかし、ご承知の通り、私は成人式には行かず、東南アジアを旅するという選択をとった。
そっちの方が将来のためになると、自分自身で感じてそういう選択を選んだ。
でも、実際思ってたより辛かったな。
人生って、自分が何かをするって決めたら、何かを捨てなきゃならないんだと、改めて強く感じた。
全部楽しむなんて、そりゃ無理に決まってるよね。
私はこの旅で、成人式以上のものを得られるだろうか。
ここで、成人式以上のものを感じて帰らなければと強く感じた。
ラオス、ドンデット島より。
最高に綺麗な夕日だった。
カンボジアはまだ、貧しかった。
今は、ラオスパクセ行きのバスの中、天気の関係から私は当初予定をしていたタイではなく、北上してラオスへいくことに決めた。
カンボジアには5日ほどしか滞在はしていないが、プノンペン→シェムリアップ→パクセーといくため、カンボジア国内は広く回った。
カンボジアでは、どこでも同じような景色がただひたすらと見える。
まだこの国には何もない。
カンボジアはものの不足がひどかった。
友達からカンボジアは物価が高いと聞いていたが、それは本当だった。
一見、一人あたりGDPから見るとカンボジアは東南アジアのなかでもっとも低い。GDPが低いということは、給料が低いということだ。だから、物価も低い。というのが、当時の未熟な私の考え方であった。
しかし、その考え方は間違っていた。
カンボジアでは、国内の物のほとんどが輸入に頼っている。スーパーに行ってもそれはすぐにわかる。ほとんどがタイを中心とした別の国からの輸入商品である。
そもそも、自国に工場すら持たないのだ。
だから、物価は非常に高くなる。国民の収入は低いのに物価は非常に高い。この国は大きな矛盾を抱えていた。
さらに、学校に行けない子ども達もたくさんいた。
夜のケンタッキーで寝る子どもの姿を見たのは、久しぶりだった。
ココナッツ一つ、1ドルで買った時の家族の喜ぶ様子が目に焼きついた。
子どもが商品を持ってきて、その商品とチューイングガムを交換してくれ、と言われた時言葉を聞いて心が痛くなった。
みな、生きるのに必死だった。
確かに、都市部に行けばその発展をかいま見ることもできるが、それでもこの国はまだまだ貧しかった。
シェムリアップの遺産を見て、以前この国にもこんなに繁栄を極めた時代があったのかと、驚かされた。
この遺跡は、カンボジアという国の潜在能力を私たちに教えてくれる。
カンボジアは、これからまだまだ発展していくだろう。
まだまだ先は長そうだが、この国の将来に期待をしつつ、出国したいと思う。
来た甲斐があった。
またいつか、戻ってこよう。
東南アジアの旅、第一弾。南寧からハノイまで。
ついにやってきました。
冬休み!ということで、私は今年の冬休みに東南アジアの旅に必ず行くと決めていました。→理由は後で、別の記事にて書こうと思います。
本日はその第一弾、成都を出発し、南寧からハノイに至るまでの旅行記を書いていこうと思います。
注)ハノイにて、スマートフォンを盗まれてしまったため、この時期に限って写真が少なくなってしまっています。ご了承ください。
成都から南寧へ
12月22日の夜。
私は成都から南寧に飛んだ。南寧は中国广西自治区の省都である。古くからベトナムとの交易の場として栄えてきた町である。
初めて来た感想としては、バイク多いなってのと、南国フルーツがたくさんあって、そんなに発展してないな、ということである。というよりは、今まさに発展をしてるなという感じだ。
駅前は大規模工事が行われていて、地下鉄建設も始まっていた。あと10年したら、街はその姿を大きく変えることになるだろうことは、予想がついた。中国の経済発展を押し上げている場所であるような気がした。
ここにきて、省都だから発展をしているということではないことがわかった。中国では都市の発展度合いをレベル分けしていて、どうやら私の住んでいる成都はかなり発展している部類にレベル分けされるらしい。南寧に限って言えば、まさにこれからという感じだろう。
これは南寧の中心地。中国風の建設方式である。非常に綺麗な場所であった。
習近平同志と書いてあるのがいかにも中国らしい。
广西壮族博物馆。壮族と呼ばれる中国少数民族の建築方式らしい。
参考:成都→南寧 386元 約6500円
南寧からハノイへ
その後、南寧からベトナムのハノイまで、その日の夜行列車に乗って行くことに決めた。私にとっては、人生で初めての国境を渡る経験である。午後6時に出発をし、朝の5時に着く予定だ。
列車の進むスピードはかなり遅い。日本の貨物列車並みである。午後11時に中国出国手続きを、12時にベトナム入国手続きを行って、いざ国境を越えると、外から漢字が消えた。国境とは、大きい存在であるなと、しみじみと感じられた。
これはベトナムの入国地である。
ベトナムへ来た。そこはつい最近まで戦争をしていた国である。戦争への想いを伏せて、暗い外を眺めながら、幽霊でも出てくるんじゃ無いんだろうかと、かなりそわそわしていた。怖いのでここで寝ることに決めた。
ちなみに、ベトナムの国境にて日本人は帰国用のフライトチケットが必要と書いてあるが、それを尋ねられることはなかった。ただパスポートを渡すのみで終了した。
参考:南寧→ハノイ 250元 約4200円
2016年の終わりに。中国留学の1学期間を振り返ってみる。
久しぶりの更新です。
ちょっと最近は忙しく時間が大切だったので、なかなかブログも更新できていなかったのですが、近況を申しますと、一週間ほど前中国での一学期間が終了しました。それで、今は早速東南アジアをバックパッカーしています。
今はベトナムにいますが、ここにきてやっと少し時間ができたので、中国留学の一学期感を少し振り返ってみようかと思います。
結果から申しますと、私の中国留学での一学期、実際にはまだ4ヶ月ほどしか経っていませんが、それは本当に充実した時間でした。
私がこの4ヶ月、さまざまなことに対して取り組んできましたが、そのなかで最も頑張ったのは紛れもなく『中国語』だと思います。ほとんど中国語の勉強にかけていた気がします。そのおかげで今では中国語をかなり話すことができるようになってきましたし、中国語がわかったことで私の世界は大きく広がっていることを実感しています。
中国語が分かるようになると、百度がわかるようになる。百度がわかるようになると、そのトピックから中国の歴史認識や注目がわかるようになる。こういった流れが今は面白いです。また、中国ってドメスティックな企業が多かったりして、そういった企業の情報もここでしか得ることはできません。
個人的な感覚としては、中国って思ったより社会は成熟していて、東南アジアとかに比べると圧倒的に成長していました。そして、日本にはないものがたくさんある。自動車やバイクのメーカーはバラバラだし、買い物は淘宝、京东(日本のアマゾンと楽天)を使っていて、学生はウーバーを移動手段として使いまくるし、買い物のほとんどが支付宝やWe Chat Pay(日本だとLINE Pay。普及してないけど。)かUnion Pay(日本のVISAやMaster)を使った電子決済。現金を使う機会はとても少ないです。
注)これは中国の成都にいて感じたことです。現実的には中国は広いので全てがこのようになっているとは言えません。
さらに音楽も本の資料も中国なら無料で簡単にダウンロードできちゃう。(違法かもしれないけど。)
中国の百度はただの検索サイトではなく、『百度旅游』や『百度百科』等、領域が分かれていて、どれも便利です。京东、淘宝も非常に使いやすい。航空券も淘宝や去哪旅游ってサイトを使えば、スマホで簡単に、且つ格安で買うことができます。こういったものも中国に来たからこそ、わかったことです。そして、日本に取り込んでいけそうな部分もたくさんあるのではないかと感じています。
このように、中国語力の向上とこの国へ来たことは、すでに大きな財産として、自分の中に日々蓄積されています。
しかし、中国って実際どんな国なのか、その答えに至るにはまだまだ程遠い気がします。中国という国は、本当に複雑で理解するのが難しいです。
注)わたしがなかなかブログを更新できない理由も実はここにあります。自分の主張に対して、それを裏ずける根拠が一定ではなく、公開するまでに至らないから。個人のメモで抑えています。
そして、この課題に対して、自分なりの見解を見つけ出すことが今後の大きな目標です。
今季は英語の授業が少ないことだったり、中国語のクラスが来季から別のキャンパスに移るとか、いかにも中国らしい訳のわからない問題が大量に発生し、困難もたくさんありました。しかし、そんななかでも自分にとって最高の環境を作るために動き続け、そんなこんなしてたら、応援してくれる人も増えてきて、自分の意見を数多く採用してくれました。
中国の学生は本当にたくさん勉強します。図書館はいつも人がいっぱいで座るところがなくらいに。日本大丈夫なのかな?と思うときがたくさんありますが、それをモチベーションにして自分自身も頑張ることができます。
残る時間もみるみる短くなっていきます。現在のバックパックは、ベトナム、カンボジア、タイ、ラオスを周り最後に中国の首都、北京を見て帰るつもりでいます。
来季も引き続き中国語、さらに専門授業にも力を入れて勉強していくつもりです。時間を大切に日々を過ごしていければと思います。
では。ベトナム、ニャチャン大聖堂より。
自分が変われば、世界は変わる。
自分が変われば世界は変わる。
言い換えれば、
『自分が動くことでこんなに世界は楽しくなるのか』
と、最近そんなことを思っています。
生活も落ち着いてきて、今は本当に毎日が楽しいです。
こんなことを言っている僕ですが、少し前までは本当に悩んでました。
何を悩んでたかというと、一つは専門授業が楽しくないこと。
なんせほとんど先生がしゃべるのがほとんど中国語な上、授業は退屈なので、学生もずっと授業中スマホいじってたりして、なんか俺の大学と変わんないな、とか。
それから、寮の仲間とあまり仲良くなれなかったこと。僕は結構綺麗好きな方なので、彼らの生活スタイルに合いませんでした。
こっちの学生もあまり英語ができずで、なんかこの留学、思ってたのと違うな、と。
もっとこうしておけばよかったな、とか。なんだか色々な面で後ろ向きになっていました。
そして、そのモヤモヤとした感じの中で、悩む日々が続きました。
友達と電話したり、Facebookをみたり、、。これから、どうしようなかと。
そんな中、日本で一緒にプロジェクトを行っていた仲の良かった僕の親友が大学をやめるという決断をしていました。
英語が大好きで、日本の大学ははつまらないから、一人でお金を貯めて、オーストラリアに行くと。
僕はそれを聞いて、すごい。と単純に思いました。
でも、僕は彼女のことよく知っているから、それが今の彼女にとって一番幸せになる方法だということは感覚でわかりました。
彼女は自分の好きな世界に飛び立っていきました。
僕はそれを聞いて最高に嬉しかったです。
でも、そんなこと僕にはできない。率直な感想でした。
そんな話を聞きながら、自分の人生を振り返りつつ気づいたことがたくさんあったんです。
それは、自分がリスクを取らない人生を送っていたこと。
僕はいつもただ普通より少しできるやつになろうとしていたこと。
そう、僕はいつも最大限の努力をしていなかった。
変わろう。そう思えた瞬間でした。
思ったらすぐ動くこと。
まず、僕が最初にしたことは
選択と集中。
いま自分が本当にしたいことは何なのか?
自分自身の心に素直になって考えてみました。
『中国語を勉強したい。』
これがいまの僕の本心です。
こっちに来てから、コミュニケーションを取れなくて悔しいって時が山ほどあります。
『早く中国語を話せるようになって、彼らと会話ができるようになりたい。』
強くそう思うようになりました。
この理由から、当初の予定を変更して、専門授業よりも語学の勉強にかなり力の入れ具合をシフトさせました。
『言葉が理解できるようになったら、きっと何倍も中国が楽しい世界になる。』
今はそんな気持ちです。
そして、少しずつ喋れるようになってくることがとても楽しい。
次のセメスターは中国語でも履修したいと考えているので、必死に頑張っています。
中国語のクラスです。ベトナム人ととりあえず仲がいいです。
専門授業に関しても、現状の問題点を現地の担当者に伝えて、次のセメスターから修士生として授業を受けることができないか交渉中です。修士の英語の授業はレベルも高く、また、学生の質も高いのでより多くの経験を得ることができるのではないかと考えています。
寮も変えてもらいました。
この交渉はとても大変だったのですが、気合いで突き通しました。
今は快適に韓国人との生活を楽しんでします。
また、週末は中国の貧しい子ども達(そんなに貧しそうに見えないけれど)に向けて授業を行うサークルに入って活動をしています。
日本についてのプレゼンテーション。
成都近郊の旅行に行ったりもしています。
世界遺産『都江堰』。迫力満点で素晴らしかった。中国の歴史と壮大さを肌で感じることができました。
後期は授業をたくさん取りたいので今は語学メインですが、最近はこんな感じで毎日が充実していて楽しいです。
ちょっと勇気を出して、自分のできる最大限をやってみました。
自分が動くことで、世界はこんなにも楽しくなる。
本当にその通りだなと。
1ヶ月の振り返りと今考えていること。
だから私は海外に行くことを選んだ
こんにちは。
最近よく考える。自分ってなんで海外が好きなのか。
今日はそれについて少し書いてみようかなと思いました。
海外に行く理由っていろんなことがあると思います。
中国の入学式で感じたこと
こんにちは。
最近サボってたのですが、楽しみにしてくれている人もいるみたいなので更新していきますううう。
本日は学校の入学式に出席をしてきました!!
セレモニーの体育館がかなりしっかりしている建物で、でかいテレビ付きでした。
体育館も含めてそうなのですが、中国に来た初日から感じたのは、中国って結構発展してるなー、ってことです。
鉄道は完全に整備されてますし(日本より綺麗です)、スクーターめっちゃ走ってるし、決済はインターネットで、みんなウーバー使って移動してるし。Iphone持ってる人も結構います。
想像よりは確実に日本に近い。逆に進んでる部分もたくさんあるのでは?って思うぐらいです。
道路だってかんり整備されてるし、他の東南アジア諸国と比べるとやっぱりちょっと違う、恐ろしさを感じるぐらい。
こんなに大きい国なのに、、、すごいな、、と正直思います。
最初に国家斉唱があったのですが、クオリティが本当に高い。軍が登場しました。
みんな本気で歌うので、何か鳥肌立ちました。
ここから見ると、国家、国民、軍の一体感というものを、強く印象付けられます。
国家斉唱の場面です。
演説の最後にはこの大学へ来ている留学生が登壇しました。
最初英語であいさつをした後、中国語で話し始めます。場内には歓声が起きました。
この大学に来て気づいたことは、中央アジアとアフリカからの学生が本当に多いいこと。アフガニスタン、パキスタン、カザフスタン、それから、ガーナ、ナミビアなどなど。日本にいたらほとんど聞かないし、わからない国です。彼らは皆、中国政府から奨学金をもらってきています。
ここに、中央アジアやアフリカに進出しようとする中国の政策を強く感じ取ることができますね。
またちょっと違った入学式。たのしかったです。
中国留学 初日からめちゃめちゃ大変だった
こんにちは
来て2週間目にしてようやくWIFIをつなげることができました。
本当にやっと少し落ち着いたって感じなので、記念すべき中国での第一回目のブログを書こうかなと思います。
一日目!
最初からかなりアドベンチャーな1日でした!。
あんまり私は海外に行った経験がないので、今回の飛行機は覚えている中では2回目。だから、かなり緊張をしました。幸い同じ大学に行く先輩がいたので、その点は少し安心でしたけれど。
出国の日が台風の日だったってのは一番やばかったですね、いけないかと心配していましたが、なぜか飛んでくれました。でも、めちゃくちゃ揺れて、ジェットコースターにでも俺は乗っているんじゃないかと思いましたが、ちゃんと目的地に着いたので良かったです。
成都まで行くには上海で乗り換えていきますが、乗り換えの時間があまりなかったので、ミスはできないなと感じながらの飛行でした。
これは上海での乗り換えの写真^^。
しかし、案の定これがなかなか迷って、ギリギリでついたら乗れないと言われまして、、、『やばい終わった。』って最初から思いましたけれど、後で遅延ってことがわかって、このときはかなりホッとしました。
乗れたのは良かったのですが、この飛行機がなんと3時間以上も遅れていたので、成都についたときには日が暮れ始めていました。
でも、格安空港でしたが、食べ物も出て非常に美味しかったのでかなり満足をしています。
そんなこんなありながらなんとかついたわけですが、ここからがもっと大変でした。
まず、両替をしようと思ったのですがなかなか見つからず、、、というか、空港がめちゃくちゃでかい、、さらに英語があまり伝わらないのでなかなか見つからなくて時間がかかりました。
次にバス停を探します。行き先が錦江賓館ってことしか知らなかったので、これもいろんな人に聞いて回りました。幸運なことに親切なお姉さんに助けられてバスに乗ることができました。しかし、このときはすでに6時半ぐらいになっていました。バスに乗る際いろいろ聞かれたけど、全く言葉が理解できず、、、、。とりあえず乗り込みました。
終点まで行って、バス停を降りたあと、持ってきた『地球の歩きかた』の地図を見ながらなんとか鉄道までいきました。
鉄道を使う際に驚いたのは、セキュリティが厳しかったこと。荷物検査をされたのには驚き。スーツケース無理やり詰め込みました。
最寄り駅までついたときにはもう完全に暗くなって、9時頃になっていました。
そこからもひたすら道を聞きながら行動しました。
大学までは三輪車みたいなスクーターを乗って行ったのですが、このときのおっちゃんがやたらファンキーな感じでめちゃくちゃ笑ってました。ぼったくられるんじゃないかとかなり不安になっていましたが、とてもいい人で目的地まで連れて行ってくれまして、特にぼったくられることもなかったです。
空港から300円ほどで着くことができたので、これは成功だったと思います。
しかし、さらに大変だったのがここから。
大学についたときはすでにかなり遅い時間だったので、人はまばらですでに閉まっていました。さらに大学がでかすぎて、途方にくれました。野宿が頭をよぎってました。
場所がわけわからず、とりあえず校内の生徒らしき人に声をかけてみましたが、これが本当に正解だったと思います。親切に私たちと聞きまわって校内を歩きながら、なんとか担当者の場所まで着くことができました。
この後、手続きをして寮の中に入ることができましたが、シャワーを電気がまだ通っていなくて、それを通してもらうために管理室に行ったりなんだり、まだ歩き回りました。
最終的には問題なく全て終えることができました!。寮は広々としていて、トイレ以外はすばらしかったと思います笑。
学校で最初に出会った中国の学生には3時間ぐらい付き合ってもらってかなり助けられました。
旅のような1日でとても疲れましたが、冒険的で最高の1日を送れたと感じます。
中国人は声だけ聞くと強く感じることもありますが(中国語がやたらでかいので)、優しい人もたくさんいることがわかりました。もっとたくさん友達を作りたいです。
先輩ともかなり仲良くなることができました。一人ではたどり着けたかわからないので本当に感謝です。
悔しかったのはやはり現地の人と全くと言っていいほどコミュニケーションが取れないことです。言語はこれから本気で頑張っていこうと思います。
取り合えず、喉が乾きました。
体感は日本より暑いです。
では、この辺で記念すべき1日目は終了しようと思います。
初心者のための!!はてなブログデザインまとめ
こんにちは!
はてなブログのデザインをいじり始めて、2週間ほどが経ちました。プログラミングとか、始めは何にも分からない状態で始めたのですが(今でもわからないです)、いろんな人の記事を見て、コピペをしたり試行錯誤を繰り返し、やっと自分の納得のいく形が出来上がってきました。
そんなわけで今回はそれをちょっとまとめようかなと!『これ良かった!』ってサイトを紹介していきたいと思います。
PCデザインテーマ
まず最初に手を出すのはPCデザインなのではないかと思います。いろいろな公式テーマがあるのですが、僕はテーマストアでDUDEというテーマを探して、使わせていただきました。最初から見出しなども整っていて、かなり綺麗です。
この記事を読ませていただいて、一目惚れしました。
DUDE基本カスタマイズ
テーマが決まったら次は基本設定です 。DUDEの基本設定はこの記事を見れば十分です!とても見栄えのいいブログサイトになることは間違いなしかと!!基本的な色のCSSが載っているのもありがたい。
グローバルメニュー
私が結構こだわったのはグローバルメニューでした。なかなか難しく、納得のいくものが作れなかったため手が出せていなかったのですが、この記事ではグローバルメニューとトグルメニューを両立させる方法が載っています。かなりわかりやすいです。
SNSシェアボタン
綺麗なシェアボタンを簡単に作ることができます。超おすすめ。
プロフィール
はてなブログのプロフィールはなんだかださいので、この記事を参考にもっと格好良くしましょう !
スマホデザイン
PCデザインが一通りすんだら、次はスマホデザインです。スマホデザインはPRO契約をした後、変えることができるようになります。
まず初めに、はてなブログらしさを消すところから入りたいと思います。はてなブログ感を消すとなんだかカッコ良くなりますよ。
ヘッダを画像ではなく、文字だけにしたい方へ!
トグルメニュー
トグルメニューが加わるだけで、カテゴリーも見やすくなるので是非!スマホには必須かと思います。
さらに極めたい人へ
最強です。隅々まで載っています。
それでも僕が中国留学を選んだわけ。
なんで中国にしたの?
留学×旅
金がなかったら、途上国の留学に行け
使える国費奨学金
さらに大学の奨学金
フィリピン最新情報
こんにちは。フィリピンから帰ってきて1ヶ月が経ちました。最初はいろんなギャップの中で困惑することが多かったですけれども、今はもう生活にも慣れました。
さて、私が今日この記事を書くのは、皆さんに情報を提供するためです。私は出国前、フィリピンについて様々なことを調べましたが、正直フィリピンに対する日本語の情報は少ないと感じました。特にトンド地区(私の言ったフィリピンの貧困地帯)に関しての正しい情報は全くなかったかもしれません。あっても、事実と懸け離れたものばかり。10年前の記事を見ていても、今とは違ってしまっていることがたくさんあります。フィリピンの経済成長は著しく、時代の流れは早いです。その中で、少しでも新しい情報が提供でき、これからフィリピンで何かを始めようと思っている方の助けになれたらと感じ、このブログを書かせていただきます。(すべての情報が正しいわけではないです。あくまで参考としてください。)
教育
まずはこの分野から言及していこうと思います。今のフィリピンの教育制度は6424制。新しく中学のあとに日本でいう高校ができたようです。この新しい制度のため、私が訪れたころのマニラの教育システムはかなり複雑でした。
公立校の場合
私が視察にいった場所はトンドの公立高校でした。授業は朝、昼、夜で三部制になっていました。人の入れ替わりが多い上、とてつもない人数がいるのでみんな廊下で勉強をしています。同じ学年でも生徒の年齢はバラバラです。新しい生徒が入ってきたり、辞めていったり、これはフィリピン教育の大きな特徴です。学校に関しての詳しい記事は↓リンクでお願いします。
しかし、フィリピンにはドロップアウトしてしまう子ども達がたくさんいるので、復帰の制度もたくさんあります。その一つがALS (Alternative Learning System 代替教育制度)です。これは日本の高卒認定試験のようなもので、私はこの制度にめちゃくちゃ可能性を感じていました。なぜなら、この制度があれば、大学を受ける資格がもらえるからです。フィリピンでは一般就職をするには大学へ出ることがかなり大切なことになってきます。長く学校へ行けない子どもでも努力次第で学校にいける。大きな可能性を開いてくれます。
このほかにもブリッジスクールという、学校に戻るときに飛び級をするための学校もあります。現地ではALSよりこっちの方のが有名で一般的です。しかし、これは修了要件が厳しく(年間休みが3日以内など)ここから学校へ復帰するのもなかなか難しいという状況があります。
授業内容に関しても大きな変更があります。英語より母国語を重要視する政策になりました。今までは、小学校から英語で授業が行われていましたが、それが高校からに変わり、さらに、理科と数学のみになったようです。学校に復帰するための試験も英語、フィリピン語、数学、あと何か(誰か情報お願いします)、の4教科になりました。それぞれの配点は25%ずつで確実に英語の比重は下がっています。
交通
交通に関して、そのほとんど制度が整っていないのが現実であると感じます。交通規制はないようなものです。マニラは夕方には渋滞が必ずと言っていいほど起こります。ラインなども引かれていないので、基本なんでもありですねww。
インフラ
インフラはまだまだです。あちこちで水があふれています。今まさに改善中という感じです。 トンド地区に限って言えば、インフラは皆無であったと言っていいと思います。でも人はたくさんいるので、成長する余地はまだ無限大だろうと感じました。
治安
日本に比べたら、そりゃかなり悪いと思います。でも、私は現地に2ヶ月滞在していましたが、一度も盗難などにあることはありませんでした。 しっかり気をつけていれば、滅多に襲われることはありません。言われてるほど危険でもない気がします。
ストリートチルドレン
ストリートチルドレンはどこに行ってもいます。社会から見放されている感じが拭えません。もはや誰の視線にも止まっていないように感じます。道端で倒れていても、誰も手を差し伸べる人はいません。これはやはりフィリピンの大きな社会問題のように感じます。
労働制度
フィリピンの労働制度は日本とかなり違うように感じます。日本だったらファーストフード店ではどこでもアルバイト募集のポスターを見つけることができますが、フィリピンにはそんなものはありません。学生のような若い人が働いている姿を見ることもほとんどありません。労働の制度もかなり特殊なようです。特に問題なのは半年以上雇用すると正社員にしなければならないという法律。この法律が理由で、半年直前で雇用を解除される人が相次ぎます。この制度は、企業側にとっても、労働者側にとっても損なのですが、こう言った変な法律が多くあるのはフィリピンの一つの特徴のような気がします。
プライバシー
もっと寄付を可視化してみてはどうか。そんな提案をNGOにしたことがありました。しかし、子供のプライバシーを守るという観点では難しいようです。一番のネックは、やはり彼らが未成年であること。その点でプライバシーはかなり強くなってしまいますし、労働をさせることはできません。いつもゴミ拾いをしていて、学校にも行けない。もう十分児童労働みたいなもんじゃないかと思うのですが、だからといって組織が仕事をさせるわけにはいかないようです。ここに支援の難しさが隠れていました。
フィリピンでの2ヶ月を振り返って-まとめ-
今日はわたしの最後のインターンの日。そして明日は母国へ変える時。子供達に手を振って、その背中を眺めながら、それを振り切ってドアを閉めた時、涙が止まらなかった。わたしの大学一年の春、2ヶ月間のインターンが終了した。この幸せな時間は終わりを遂げ、わたしはこれから前を向かなければならない。ここでの別れはわたしにとっての始まりの一歩でもあった。日本に帰ってから、そこからが自分との戦いだし、その先にある辛い現実を乗り越えていかなければ、きっと自分の望む世界を見ることはできないとわかっていたから。ブログを書きながらも、なかなかこの涙を抑えることはできない。いつだって出会うのは簡単だけど、別れるのは難しい。そして自分自身と向き合うのも難しい。
幸せな時間
この2ヶ月間は本当に幸せな時間だった。毎日が新鮮で、笑顔に溢れていた。当然嫌なことだってあったけれど、人の温かさに勝るものはなにもない。時間は風のように過ぎていった。学校の卒業式でも泣いたことのないわたしにとって、人との別れで泣いたのははじめてだろうか。子供達もこんなわたしの別れのために涙を流してくれた。わたしなんかちっともたいしたことはしていないのに、、、本当にありがとう。
あー、終わっちゃうんだなー。って何度もおもいながら、それでもなかなかわかない実感。直ぐそこにまだ子供達がいるような気がして、まだ声は頭の中に残っている。なんでだろう、国が違うからだろうか、彼らの生活環境が違うからだろうか、自分の決意が信じられないからだろうか、心残りがまだたくさん残っているからだろうか、なんだかとても遠くなってしまうようで、、。でも、それだけこの経験が自分にとって大きかった証拠なんだと思う。ここに残りたい。そう強く思えて本当に良かった。
行ってみて初めてわかること
もとはと言えば、本当に小さな興味から始まったこの研修。そもそも私は貧困問題に興味なんてあまりなかったし、フィリピンといえばスモーキーマウンテンがやばいってことぐらいしか知らなかった。3年前に閉鎖されてるけど、どうなんだろう?と。それぐらいしか情報はわからなかったし、フィリピンのトンドに関する日本の情報が少ないということもあるけれど、あまり興味は持っていなかった。どこのNGOに行くかってなった時、ストリートチルドレンが沢山いる場所をお願いしますって話して、たまたま紹介されたのが、Young Focusだった。今になれば、どこにだってストリートチルドレンはいるよって思うのだけれど、本当にこのNGOを選んでくれたことには感謝している。最初はトンドって聞いて、「やばくね、危ないな」とか思ってたけれど、やっぱり行ってみないと分からないもので今となれば別にそんなに悪いところじゃないよ?って言うのが私の答え。
私たちが研修を行ったのはトンドのtemporaryという場所。なぜtemporaryと言うのかと言うと、もともとスモーキーマウンテンを閉鎖させるために、そこに住んでいた人を一時的に移動させるという意味で建てられたから。上空から見るとまるで収容所のようになっているけれど、中の環境はかなり劣悪で小さい部屋に小分けされていて、そこに1世帯ずつ住んでいる。まだ建設されてからあまり経っていないのだろけれど、既に屋根がなかったり、ぐずれ落ちていたりする場所もある。明らかにここだけでは人が収まらない。スモーキーマウンテンを閉鎖したからといって、現状スカベンジャーはそのままで、何も変わらない現状があることも分かった。訪れた最初はちょっと不安であったけれど、今となっては懐かしさを感じるぐらい。みんな親切に迎え入れてくれたし、お母さん達と話したりもして、本当に温かみのある場所だった。
この記事で場所は説明しています。
見ただけで終わりたくない
でも、ここで思ったのはただ見ただけ、社会見学では終わりたくないこと。ここには、私たち以外にも結構たくさんの外国人が訪れるらしかった。私のことをみて、コリアン?って聞く人はたくさんいた。逆にジャパニーズ?って聞かれたのは一度もなかったから、悔しさを感じたぐらいだ。私は日本人なんだなーっとその時に思った笑。そんな感じでたくさんの外国人が訪れる割には解決しない問題。私もきっと彼らにとってはここに来た訪問者の1人なのだろう。また見に来たのか?そういった感じで思われているような気もした。
でも、私はそうみられただけで終わりたくない。いつかこの街を変えたい。そう強く思ったし、最後のメッセージで子供たちに伝える言葉もそれにした。どれぐらい伝わったのかはわからない。子供たちに努力しろと言葉で言っても意味はなくて、やはり行動でみせなければそれは伝わらないのかもしれないけれど、一人でも信じてくれる人がいるなら救われる気がする。
何を残せたのか
何を残せたのか。それはずっと意識していたことだった。英語の本を作成したり、本棚作ったり、マナーを作成したりした。子供たちに学校に行く大切さとか、勉強が楽しいと思ってもらえるようなプレゼンを作ったりもして、少しは残せたものがあったかもしれない。でも、根本的な解決には全く手も届かなかった。問題は予想以上に大きかったし、何よりも人の心を変えることが最も難しかった。フィリピンにだって日本と同じように、勉強が好きな子もいれば嫌いな子もいる。学校に行く文化がない分、その文化をまずは作ることから始めなければならない。正直、自分のやろうとしているのが、正しいかどうかなんてわからない。でも動かなければここに来た意味はないし、本当に後悔をするとおもったから、『少しでもプラスになることをしよう。』という気持ちでとにかく手を動かすことにした2ヶ月だった気がする。
自分にできないことなんてない
彼らにできて、自分にできないことなんてない。これは私がこの研修を通して強く思ったこと。スラムではどんなに努力をしたくても出来ない状況が生まれてしまう。それに比べれば先進国のごく普通の一般的な家庭に育った私は、努力さえすればなんだって出来る環境に置かれている。じゃあ挑戦するしかないなーと感じた。
これから
振り返ることのできないぐらい忙しい毎日だったけど、あえて一言でまとめるならば、今回の経験は''自分の進むべき道を示してくれたもの,,だったんじゃないかと思う。ここの子ども達は自分達のことを愛してくれた。そしてわたし自身もここにいる子ども達が本当に好きだった。この好きという感情がわたし自身を動かしてくれる。好きだから頑張れる。これが本質なのかもしれない。
これからどうするのかってところですが、基本的にそこまで先のことは考えていません。でも、今までお世話になっていた学生団体はやめることにしました。理由としては、これから自分自身のやりたいことにもっと時間をかけて行きたいと感じたからです。しかし、ここに来れたのもその団体のおかげだったので、とても感謝しています。いくら感謝をしてもしきれないような居心地のいい場所でした。馬鹿なことばかりをしている私をいつも受け入れてくれてありがとう。これから一人でご飯食べたりするのは少し寂しくなっちゃうんですけど、それぐらい我慢しないと。新しい仲間もたくさん探して行きたいです。
そして、いま考えている計画では、temporaryに住む子ども達が勉強をするための自習室をつくるために、資金集めを行っていこうと考えています。手段としては、一般的な募金活動とクラウドファンディングを行うことで実現していきたいです。また、わたしのNGOは文房具不足がかなり深刻だったので、日本の学校に訪問して文房具を集めることで、それをトンドに送りたいと考えています。名付けて『Change TONDO From JAPAN』プロジェクト。なんちゃって。日本にももっと寄付の文化、ボランティアの文化を作っていきたいですね。このほかにも考えたら自分のできることってたくさんあると思います。日本語のfacebookページを作ったりするのもいいかもしれません。取り組めることはなるべくやっていきます。
もし、協力してくれる人とかがいたらありがたいです^^。気軽に声をかけてくださいね。
最後になりますが、このインターンに来れたことは自分にとって本当に貴重な経験となりました。ブログを読んでくれた人を始め、家族、その他私を支えてくれた全ての人に感謝しています。本当にありがとうございました。
次にここを訪れる時は、『必ずここをもっといい街にする』そんな意気込みでこれから頑張っていきます。
研修まとめ動画!!
Our Internship in Tondo Philippines