My NIKKI

1996年生まれ。

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カンボジアはまだ、貧しかった。

 

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今は、ラオスパクセ行きのバスの中、天気の関係から私は当初予定をしていたタイではなく、北上してラオスへいくことに決めた。

 

カンボジアには5日ほどしか滞在はしていないが、プノンペン→シェムリアップ→パクセーといくため、カンボジア国内は広く回った。

 

カンボジアでは、どこでも同じような景色がただひたすらと見える。

 

まだこの国には何もない。

 

カンボジアはものの不足がひどかった。

 

友達からカンボジアは物価が高いと聞いていたが、それは本当だった。

 

一見、一人あたりGDPから見るとカンボジアは東南アジアのなかでもっとも低い。GDPが低いということは、給料が低いということだ。だから、物価も低い。というのが、当時の未熟な私の考え方であった。

 

しかし、その考え方は間違っていた。

 

カンボジアでは、国内の物のほとんどが輸入に頼っている。スーパーに行ってもそれはすぐにわかる。ほとんどがタイを中心とした別の国からの輸入商品である。

 

そもそも、自国に工場すら持たないのだ。

 

だから、物価は非常に高くなる。国民の収入は低いのに物価は非常に高い。この国は大きな矛盾を抱えていた。

 

 

さらに、学校に行けない子ども達もたくさんいた。

 

夜のケンタッキーで寝る子どもの姿を見たのは、久しぶりだった。

 

ココナッツ一つ、1ドルで買った時の家族の喜ぶ様子が目に焼きついた。

 

子どもが商品を持ってきて、その商品とチューイングガムを交換してくれ、と言われた時言葉を聞いて心が痛くなった。

 

みな、生きるのに必死だった。

 

確かに、都市部に行けばその発展をかいま見ることもできるが、それでもこの国はまだまだ貧しかった。

 

シェムリアップの遺産を見て、以前この国にもこんなに繁栄を極めた時代があったのかと、驚かされた。

 

この遺跡は、カンボジアという国の潜在能力を私たちに教えてくれる。

 

カンボジアは、これからまだまだ発展していくだろう。

 

まだまだ先は長そうだが、この国の将来に期待をしつつ、出国したいと思う。

 

来た甲斐があった。

 

またいつか、戻ってこよう。