My NIKKI

1996年生まれ。

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Xiaomiモノづくり研究所の応募に際して

始终坚持做“感动人心、价格厚道”的好产品- 知乎

“感动人心、价格厚道” 的好产品让全球每个人能享受科技带来的美好产品

Amazing products that touch your heart, with honest pricing

 

英語にも日本語にも訳すのが少々難しいですが、これはシャオミのCEOである雷军が、同社のミッションとして発表会で語っていた言葉です。

 

私は初めてこの言葉を聞いた時、とても胸が熱くなったことを覚えています。

テクノロジーの力で、もっと社会を盛り上げたい。

という創業者の思いを聞き、シャオミを応援したいという気持ちも高まりました。

 

私は今、国内の大手自動車メーカーで商品企画という仕事をしていますが、発表会で雷军が語っていたこの言葉は、私が今の仕事をする際にも、最も大切にしている考え方の一つです。



シャオミとの出会い

時は戻り、私がシャオミに初めて出会ったのは、2016年。中国で留学をしていた時です。

 

留学前、私は中国という国が急速に経済力をつけていることを知っていましたが、一人当たりの所得で考えれば、日本には遠く及ばず、テクノロジーという分野においては大きな期待をしてはいませんでした。しかし、私が中国に対して抱いていたそのようなイメージは、留学を通じていい意味で壊されました。

 

QRコード決済が普及し、現金を使わない世界。自動車や家電分野において自分の知らないブランドの企業が多く存在していることに驚き、一種の危機感すら感じるほどでした。とりわけ、スマートフォンに対する中国企業の強さは顕著で、すでに外資企業の存在感は、アップルを除きとても薄くなっていました。

 

新しい世界、新しい企業に触れた私は、好奇心を大いに刺激され、テクノロジーの世界にのめり込みます。私がシャオミに対して関心を持ち、いわゆる”米粉”となったのは、この時からでした。

コスパに驚く

1人の顧客として、初めてシャオミを見たとき、何より驚いたのはそのコスパでした。当時の小米の最新式のスマートフォン MI6は、最新のチップを搭載し、2眼カメラで2900元。6000元ほどするiPhoneの約半額でほぼ同じスペックを達成していることに驚愕しました。新のトレンドを捉えていたデザインにも魅了され、欲しくなったことを覚えています。

iPhoneが買いたいけど、買えない。。。

シャオミの製品は、そんな思いを持つ顧客にとって最適な商品だと感じました。

当初は、iPhoneの代替品というイメージが先行していましたが、テレビや一般家電など事業の多角化を進めるとともに、小米之家など、オフライン店舗を増やすことにより、ブランドイメージを確立していく姿は、感心しました。

シャオミ製品の購入

私が初めて購入したシャオミのスマートフォンは、Xiaomi Mi MIX3です。

MIX3は、日本で発売されていないため、この時は中国に行って購入しました。

シャオミのMIXシリーズは、市場トレンドの先を行く商品であり、私の最も好きなシリーズの1つです。

MIXシリーズは、シャオミのブランド力向上に大きく貢献しているものだと思います。

 

日本市場参入

日本に帰国してからも、私はシャオミのことを多くの人に伝えましたが、まだ周りでシャオミを知っている人はおらず、一種の中国通で終わっていました。

しかし、心の中でシャオミはいつか必ず日本に来る。そんな期待を持っていました。

 

2019年、シャオミが日本に来るというニュースには、嬉しさを感じるとともに、私が留学時に感じた勢いや確信はは間違っていなかったと思いました。

 

Xiaomiモノづくり研究所の設立

Xiaomiモノづくり研究所の設立が発表されました!

これはシャオミが日本マーケットにも力を入れて来るという証の一つでもあり、とても嬉しいニュースです。(早速応募していまいました。)

 

正直、シャオミの日本市場における存在感は、他のマーケットに比べまだまだ弱いと感じており、私自身悔しさを感じる部分があります。

 

スマホ市場で言えば、日本はiPhoneのシェアが非常に高く、特殊なマーケットであることは確かですが、公平な競争環境の市場へ移行しつつあり、シャオミを含めた新興メーカーがマーケットでのプレゼンスを高める余地は大いにあると思っています。

 

私は、本職での業務経験も活かしつつ、シャオミが日本人にニーズを満たした商品を開発、企画することに助力できれば良いなと考えています。

【転載】 どんな人が応募するの?国連ユースボランティア(UNYV)明治大学Ver.

 

国連ユースボランティアプログラムに参加して、ボスニア・ヘルツェゴヴィナに行っている友人がブログにて紹介記事を作ってくれたので、記事の転載をさせていただきます。

 

自分以外にも、国連ユースボランティアで世界各国に行っている方の記事が掲載されていますので、このプログラムに興味のある方は、ぜひこちらのブログを参考にしてみてください。

 

平本君!ありがとうございました。

 

 

wataruhiramoto.hatenablog.com

 

 

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みなさん。こんにちは。

国連ユースボランティア(UNYV)派遣中の

平本 亘(@follow_me_peace)です。

 

今回の記事では

明治大学からどんな大学生が

国連ユースボランティア(UNYV)に応募しているのか

紹介します。

 

…が、僕が紹介してもうまく伝わらないので

ご本人に記事を書いていただきました。

お楽しみください。

 

_________________

 

目次

 


自己紹介

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フィリピンにて

みなさん、こんにちは!

明治大学4年の原山直人(Naoto Harayama)です。

 

海外経験


私は過去に

  • 中国に1年
  • フィリピンに1年(休学)

留学していたので、今回のエジプトが大学生活で3度目の長期留学になります。

明治大学での専攻

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ゼミのメンバーと


ゼミでは
東南アジアの比較政治学を勉強しています。


ゼミ生の半分以上が長期留学を経験していて

多様性に溢れています。


メンバーそれぞれが確固たる想いを持っていて

お互いに尊敬しあえるところが素晴らしい部分だと思っています。



国連ユースボランティア(UNYV)での派遣国と派遣先

 

派遣国について

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Wikipediaより


私は、現在エジプトの首都カイロで生活しています。

 

イスラム文化

アラビア文字

茶色の景色

傷ついた車鳴り止まない騒音

そしてヨーロッパ、アジア、アフリカをまとめたような顔立ちをした人々・・

これがエジプトかと、最初は圧倒されました。

 


エジプトは、国民のほとんどがイスラム教徒ですが

その戒律は他の中東国家ほど厳しくはありません。

 

ムスリム女性でも、ヒジャプを被ってない人もいますし

女性と男性が2人でご飯に行くこともできます。

個人の選択に大きな自由があるようです。

豚肉やアルコール飲料も買うことができます。

 

天候

基本的に雨は降ることがなく、毎日同じような天気が続きます。

家からは、ナイル川を一望することができ

その景色を見ることが一つの楽しみです。

 

食事

レストランはあまり多くなく

基本何処へ行っても同じような料理です。

 

私が一番苦労しているのもおそらく食事です。

バランスよく栄養を摂取するため

基本的に毎日同じレストランの同じ料理になっています。

これがなかなか辛いですね。

 

なので最近は自炊にも挑戦し始めました。失敗の連続ですが、、、笑。

 


派遣機関について

私はUNESCOのカイロオフィスに派遣されています。

旅行好きの方は、聞いたことはある名前かもしれません。

世界遺産の登録で有名なあのUNESCOですね。

私の所属しているカイロオフィスは、周辺地域の18カ国を管轄しており

  • 教育
  • 科学
  • 文化

の3つに部門が分かれています。

その中でも、私は科学 (Science)チームに所属して、活動しています。

サイエンスチームでは

現在、アラブ地域18カ国の

自然災害対策についてまとめた本を執筆しています

そのため、私の主な業務内容は、その参考文献を探すことになっています。

業務時間は、外へ出ることはほとんどなく

PC作業が中心となります。

 

 

また、カイロオフィスは

市の中心部から1時間ほど離れた場所にあり

とても閉鎖された環境です。

 

国際協力とはいえ、現場との接点が全くないことに

もどかしさを感じることが少なくありません。

閉鎖された環境の中でも

自分の視野を広げられるように主体的に行動することを心がけています。



国連ユースボランティア(UNYV)に応募した理由


私は大学1年生の頃

フィリピンで2ヶ月のボランティアを行ったことがきっかけで

国際協力に関心を持ち始めました。

 

その頃から、国際協力と言えば「国連」でした。

だからこそ

いつか働いてみたいという気持ちを持つようになったのだと思います。



その後、中国での留学を経て

大学3年次を休学しました。

 

休学中にはフィリピンの社会的起業で1年間のインターンを行っていました。

インターン中は

国際協力の現場に非常に近い場所で働いていたので

国際機関で働く多くの方々との接点も数多くありました。

そのことで

国連で働いてみたいという思いがさらに強くなります。



そんな中、大学も5年目になった私にとって

最後となる国連ユースボランティア(UNYV)の募集がかかりました。

しかし

このような流れの中で

実は行くか行かまいか、ものすごく悩みました。

就職先もすでに決まった段階で

自分自身は国際協力の道には進まないのではないだろうか?

そんなことを思い始めていたからです。



それでも、過去に夢にみた国連で働くチャンスがある。



決め手となったのは、派遣国親友の存在です。

私はアジア以外の国に行ったことがありませんでした。

そのため

エジプトという国の中で、自分の知らない世界を見てみたい。

その強い好奇心だけは、変わらず自分の中にありました。



さらに、私の親友も国連ユースボランティア(UNYV)として

去年ジンバブエに派遣されていました。

そんな彼女からの話を聞くうちに

自分も挑戦したいと考えるようになっていました。

これらの想いを胸に

CVを書き上げ、選考を通過して行くことを決断します。


将来国連ユースボランティア(UNYV)での経験はどうなるの?


大学5年の後期を迎える私にとっては大学生活の集大成ともなります。

私はこの経験を通して

国連を理解し、自分自身の国際協力に対する想いを再確認するとともに

今後も働く上で必要となるであろう

「国際的な環境の中で働く能力」を身に付けたいと考えています。


しかし

最初から分かりきっていたことですが

今は言葉も文化も何もわからず、ものすごく苦労しています。

最後には

帰りたくなくなるぐらいの気持ちをこの地に残して去りたいですね。



国連ユースボランティア(UNYV)を目指すみなさへメッセージ


国連には

世界中から様々な想いを持った人々が集まっています。

 

おそらく世の中のどんな会社を探しても

国連ほど多様性を持った組織はないのではないでしょうか。


そのような環境の中で働く経験を

大学生のうちに得られることは

国連ユースボランティア(UNYV)でしか実現できないことです。


様々な国籍の人たちと協働し

自分自身の価値を発揮することができれば

今後の大きな自信にも繋がると思います。

 


将来、国連や国際機関で働きたい人にとってはもちろんのこと

たとえそうでなくても

将来的に国際的な環境で働きたい人にも強くお勧めしたいです。

相談等があれば、Facebookでもいいので直接連絡ください。

エジプト留学へ

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*完全な独り言です。 

久しぶりに日記を書くことにしました。

 

仕事が毎日4時ごろには終了して、ちょっと時間もあるので、、、。

 

大学5年生になった自分は何を考えるようになったのか、その気持ちをまとめていきたいと思います。

 

突然ですが、今私は大学の国連ユースボランティアというプログラムを利用して、エジプトのUNESCOという国連機関でインターンシップを行なっています。世界遺産で有名なあの「ユネスコ」です。

期間は約5ヶ月間、大学5年の後期を迎える私にとっては大学生活の集大成ともなります。

 

私がこのプログラムに応募したいと思ったのは、大学一年の春。

考えて見れば、このブログを始めたのも同じ時期です。

  

フィリピン現地NGOでのボランティアを通して、国際協力に関心を持ち始めて以来、

「いつか国連で働いて見たい。」

そんな気持ちを抱いて、今まで過ごしてきました。

 

大学一年生の頃から、ずっと憧れてきた国連という場所・・なんです。

 

ですが 、本当は行くか行かまいか、実はものすごく悩みました。

なぜ悩んだのかといえば、自分自身は国際協力の道には進まないのではないだろうか?

そんなことを思い始めていたからです。

それでも、過去に夢にみた国連で、働くチャンスがある。

受かるかわからないけど、とりあえず応募して見ました。

 

こんな時、なぜか私はいつも受かっちゃうんですね。

 

大学の選考を通過し、周りの応援もあって、結果的に行くことを決断します。決め手となったのは、場所です。「国連」というよりは、「エジプト」に行って見たかったからです。自分の知らない世界を見てみたい。その好奇心だけは、相変わらず自分の中にありました。

最初から分かりきっていたことですが、言葉も文化も何もわからず、私は今ものすごく苦労しています笑。(後で笑って話せたらいいのですが・・)

 

今、仕事が始まって、4日目の夜です。

 

このインターンを通じる中で、最近は自分の変化を意識することが多くなりました。

それは、物事に対する姿勢の変化です。 

 

きっと大学一年生の時の自分であったら、後先考えず、がむしゃらに取り組んでいたのかもしれません。あの時の自分は、自分の命の価値さえ、あまりわかっていなかったような気がします。「失う怖さ」も知らず、新しい世界を見ること、それを感じることに、ものすごいモチベーションがありました。そこには、まだ4年という時間が残っていたことも関係しているかもしれません。

 

フィリピンからの帰国後も数え切れないほど、いろんなことに取り組んでいたと思います。バックパック、トビタテ、中国、フィリピン。。。本当に楽しかった。その時の自分は純粋にその時間を楽しんでいました。

 

しかし、初めて海外に行った時から、約4年と半年、その間に多くの出会いと別れがあって、、、新しく仲良くなる人もたくさんいましたが、自分の側から離れて行く人もいました。辛いこと、楽しいこと、嬉しいこと、悲しいことそれぞれが山のようにあり、二度と戻ってこないものが、たくさんあることも知りました。自分がいなくなったら、悲しむ人がいることも、わかるようになりました。

 

失うものが増えると同時に、「これだけは守りたい。」と思うものも増えました。

失うものが何もなかったあの頃の自分に比べたら、今は背中が少し重いです。

 

そして、悩んでます。

なんのために頑張るのかが、あまり見えなくて。

 

目的を探すまでが、また大変なのかもしれません。

 

留学をするときは、毎回こんな感じですけど。。。

 

エジプトについてはゼロでごめんなさい。

 

つづく

 

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学校へ行こう!プロジェクト」大学で一番頑張ったかも??

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かつて世界地図を広げて夢を語り合った最高の仲間たち

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中国で毎日バカな話ばっかりしてたねー

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フィリピンを第2の故郷にできたのは、ここにいる友達のおかげ

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関わり続けて5年のユニカセ

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ゼミのみんな、送り出してくれてありがとう

フィリピンスマートフォン市場から見えたこと。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/13/OPPO_Logo_wiki.png/1200px-OPPO_Logo_wiki.png

現地で気づいたことをがあったので、そのまま投稿しようと思います。

 

今回の気づきは主に2つ。

  1. スマホメーカーのローカライズ
  2. フィリピンのスマホ市場から見える所得水準

 

私の日本から持って来たiPhone6にはSIMロックがかかっているため、現在はiPhone、ポケットWifi、2000円で買った現地ガラケーの3台を同時に使っています。

 

しかし、毎回ロードをするためにスマートフォンからSIMを取り出すのが非常に面倒。さらに、ポケットWifiでは自分が残りどれだけのデータ通信を使えるのかもわからず不便なため、現地で新しいスマホを買うことを検討しています。

 

さすがにハイエンドモデルを買うお金はないので、ミドルレンジのものを買おうと思い様々なメーカーの端末を下調べしていました。

 

その中で、今検討しているのがOPPO F5

www.oppo.com

phablet.jp

 

OPPOは中国のスマートフォンメーカーです。

日本には展開されていないのですが、中国本土及び、東南アジアにおいて大きな存在感があります。

 

Dual Sim Dual Stanbayで、さらにMicro SDも装着できるという、現地のニーズをほぼ完璧に取り込んだフィリピンOPPOフラグシップミドルレンジモデルです。フロントカメラの質がよく、自撮り大好きなフィリピン人に大人気です。

 

価格はもっとも人気のある15000ペソ。日本円で3万5千円ほどになります。

 

こっちに来て気づいたことなのですが、スマートフォンの人気機種によって、各国の所得水準がかなり透けて見える部分が非常に面白いです。

 

例えば

日本で基本的に人気なのは、

ハイエンドモデルであるiPhoneXやXperia等ですね。価格は5万円以上だと思います。

 

私が中国にいた際に人気であったのは、主に中華メーカーのフラグシップモデルで、ハイエンドであり、尚且つその価格をできる限り下げたものです。

代表的な機種は、HUAWEI PシリーズやOPPO Rシリーズ、Vivo Xシリーズ、Xiaomi Miシリーズ等。価格は4万から5万円ほどになります。

 

一方フィリピンで一番人気のある価格帯のスマートフォンは、私の検討しているOPPO F5を含む15000ペソ前後、日本円で30000円から35000円付近の機種だと思います。

 

実はフィリピンには、OPPOのハイエンドモデルである RシリーズやVivoのXシリーズがない。iPhoneXも販売されてないんです。これにはちょっと驚きでした。おそらく、フィリピンでこの価格帯のスマホを買える人が少ないことを顕著に示しているものだと思います。

 

また、2年前に来た際に圧倒的であったサムスンの力が確実に弱まっています。一方で、HUAWEIはめちゃくちゃ伸びた印象です。サムスンはシェアを中国メーカーに奪われている印象を強く持ちました。

フラグシップモデルであるGalaxy Noteシリーズ等の力は健在であるにしても、ミドルレンジにおいてシェアを保ち続けるのは非常に難しいと思います。一昔前の日本企業に似た現象を見ているような気がしますね。

 

ミドルレンジのスマホはこれから中国企業の天下になっていくと思います。

現地のニーズを捉え、大衆層に向けたスマートフォンを作れる中国メーカーの強さを感じました。

 

 

フィリピンに来て、すでに一ヶ月。

 

独り言。

 

時間が風のように過ぎていく。

 

フィリピンという景色が私にとって見慣れたものになっていく。

 

最近はなぜだか風邪ばっかり引く。ストレスもあるし、空気もあるのかも。

 

あまりにも空気が汚くて、病気になりそう。

 

そういえば、最近あまり日記書いてなかった。

 

日記を書く時間がないというよりは、日記を書く心の余裕がないと言った方のが正しいのかも。

 

中国でもあまり書けなかったからな。

 

なんか今の自分は皆が同じ方向を向く時に、私は違う方向を向いているような気がする。

 

でも、それはそれでいいのかも。

 

ただただ、自分の満足度は上げていかなきゃならない。

 

人生の中で一年を使うのだから、

 

それに見合った成果を出したい。

 

今回のインターンはまた前とは違った難しさがあるのかも知れない。

 

まあ、難しいことはあまり考え過ぎずに、気楽に行こうかな。

 

何を残すとか、あんまり大きいことを考えると、大変になっちゃうね。

 

まずは、英語。

 

それから、基本的なビジネスマナー。

 

あとは、小さな改善をコツコツと。

 

やりたいことなんて、そう簡単には見つからない。

 

きっと、そう言ったプロセスの中で、見えてくることがあるのかも知れない。

 

フィリピンで何か面白いプロジェクトとか考えている人がいたら、ぜひ声を書けてください。

 

今はそれを待っています。

 

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自分の写真笑。

 

 

 

 

 

 

 

 

世界の三洋電機。『SANYO』ブランドは、世界でどのように存在し続けているのか。

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私は今まで中国や東南アジアに行く際に、現地でよく見かける三洋電機のロゴ。日本から消えた三洋電機がなぜ海外で生き残っているのだろうか、不思議に思ったのでいろいろ調べてみました。

 

三洋ブランドはいろいろな国と地域に存在するが、そのブランド所有権は全く違っているということがわかって、非常に面白い。

 

SANYOって、個人的にとてもいいブランド名だと思うんです。

しかし、パナソニックが買収をした後、三洋ブランドを世界中に売りつけてしまいました。中国では完全に日本ブランドだと思われている三洋電機。でも、かなり安っぽい感じで売られていてます。(実際にもはや日本は関係ありません。)私は日本全体の企業ブランドに傷をつけるんじゃないかと危惧しています。

とりあえず、三洋関連の情報いろいろ調べてみたので、興味があればぜひ!。

 

 三洋電機(主に国内事業)のまとめ

trendy.nikkeibp.co.jp

日本国内における三洋電機解体について、もっともわかりやすく説明されているものがこの記事だと思います。こう見ると、三洋電機って本当にいろんな事業を保有していたことがわかりますね。

 

デジカメ事業売却について

dc.watch.impress.co.jp

いわゆるスピンアウトというものですね。ソニーがスピンアウトさせたVAIOの例と、かなり似ていると思います。最近の業績はなかなかいいみたいです。非常に面白い例だなと思い、取り上げてみました。

 

子会社譲渡に関する基本合意

http://news.panasonic.com/jp/press/data/jn110728-7/jn110728-7-1.pdf

 三洋電機株式会社の冷蔵庫、洗濯機および その他家庭用電化製品事業の買収に合意

http://www.haier.com/jp/company/newspress/press_release/201203/P020120321769668070776.pdf

これら二つの記事からわかることは、日本においては『Hier』と『AQUA』のブランド。東南アジアにおいては、『SANYO』と『AQUA』のブランドで販売しているといううこと。よって、東南アジアにおける三洋ブランドの家電はハイアールが作っているということになります。

 

 中国ハイアールと三洋電機の研究

http://mba.kobe-u.ac.jp/life/minipro/2003/materials/team4.pdf

ハイアールが三洋電機の家電部門を買った理由等、非常に細かく分析されています。 

 

 中国市場の三洋家電について

三洋が中国家電市場から撤退、後釜は米ワールプール―中国紙 -- Record China

 中国市場においての三洋白物家電アメリカの家電メーカーワールプールが買収しています。中国でみる三洋の洗濯機等はワールプールによって、開発、製造、販売がされているようです。(ハイアールではないということが、重要。)

 

中国テレビ事業における三洋電機の行方

www.nikkei.com

 中国液晶テレビ事業に関しては、中国の长虹电器に売却しています。中国で見る三洋のテレビは中国企業が使用権をもっているということですね。テレビに関しては、ワールプールでもハイアールでもないところが重要です。

 

 北米三洋電機液晶事業

www.sankei.com

北米における三洋ブランドは、船井電機に買収しているようです。

 

以上です。複雑。。。

シャオミ(小米)のビジネスモデルって何だろう?(まとめ記事)

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 私がかなり注目をしている企業、シャオミ。中国で出会って、その製品に見せられました。製品がデザインに優れていて、独創的である上に安い。

そんなわけで、シャオミはどのようなビジネスモデルを構築しているのかについて、興味を持っていて調べて見ました。

調べた記事の中で良さそうだなと思ったものを、適当に載せて見ます。

 

zuuonline.com

 

thebridge.jp

 

honvieew.com

 

jp.techcrunch.com

 

上の記事を読んだ中で、自分のざっくりと感じた要点をまとめると、

 

シャオミの最も大きなポイントとなるのは、

ファブレス企業であること

自社工場を持たず、製造はOEMメーカーに委託していること。シャオミが自社で行うのは、企画、販売、ユーザーサポートの部分。

 

二つ目のポイントが、

人材

商品のデザインやマーケティングを考えると、おそらく企画、販売の分野に相当優れた人材がいるのではないだろうかと、私は考えている。

 

三つ目のポイントを考えるのは、 

ハードでは、ほとんど利益が出ていない。

ということは、そのあとのサービスで利益を得ているということである。

 

恐ろしきシャオミ。新しく画期的なビジネスモデルだと思います。

 

投資企業とも言われますよね。

 

今後も注目です!!

 

僕はこの企業を研究して、卒論書けないだろうかと密かに考えています。

 

 

 

 

 

中国留学帰国のお知らせとトビタテ留学に関して

 

 https://www.waseda.jp/inst/cie/assets/uploads/2016/06/Ryugaku-JAPAN_Logojpg.jpg

久しぶりの投稿です。昨日、中国での1年間の留学を終え日本に帰国をしました。充実した留学生活で、時間はあっという間に過ぎてしまいました。まとめとして、中国での留学で感じたことを少し書こうと思います。さらに、トビタテ7期に合格をしましたので、そのご報告をさせていただきたいと思います。 

中国留学に関して

一年の留学を通して、今感じることは、やっぱり留学の力ってすごいということ。中国留学をする前とした後で何が変わったのか。具体的なものは中国語がかなり話せるようになったことぐらいしかないのかもしれないけれど、それ以上に自分の考え方を大きく変えてくれた。時間が経つのは非常に早く、いつの間にか終わってしまったという感じだった。いろんな国籍のいろんなバックグラウンドを持った人に触れて、いろんな場所に行ってみて、人の人生の選択の多様さを知った。考え方も多様性にあふれていて、中国からみた世界は、日本から見た世界とは大きく違っていた。
世界中のモノが集まり、アイディアに溢れる中国は、私にとってあまりにも魅力的だった。世界の工場でもあり、世界の市場でもある。夢に溢れていて、面白い。現金は使わず、シェアリングが広まっていて、成都のような大きい街でもそこら中にシェアリング自転車が溢れかえっている。もうなんでもありだった。日本で10年かかることが、3年で済んでしまう。本当にそんな感じで、時間の流れがめちゃくちゃ早い。ファーウェイ、シャオミ、Oppo、Vivo、TCL、Hisense、Lenovo。新しい企業が湧き水のように出てきていて、国の若さを強く感じた。
中国は都市それぞれに違った魅力があるので一重にいうことはできない。私の留学先である成都では、今まさに発展している中国内陸部を実感すると同時に、世界遺産である九寨溝,黃龍,峨眉山,都江堰等、豊かで美しい自然が残り、壮大な中国の自然を感じることができた。でも、私が知ったのは、まだ成都だけ。中国全体から見れば、本当に小さい一部分。北京,上海,广州,敦煌、中国には魅力的な場所が山ほどある。北京と西安は行ったので、次に行ってみたい場所は、珠江デルタ。電子産業が集積する深圳、自動車の工場が集まる広州、金融で栄える香港、娯楽の都市澳门。中国にいれば、全てもモノが揃うのではないかという気がする。ここに、世界の縮図があるかもしれない。
 まとめると、留学に行って本当に良かった。日本にいるときのような圧力を感じることなく、自分の好きなことをのびのびとできた。自分が前よりももっとわかるようになって、何をやりたいのかもさらに明確になった。そしてまたここで、自分の次にやりたいことが見えた。点と点が結ばれて、線になり、また新しい点を置けることが嬉しい。
中国では順番も待たないし、列にも並ばないから、ムカつくことだってめちゃくちゃあるんだけど、一人一人が自分の足で立って生きている力強さを感じた。国民性がそうなのだから、政治もビジネスもまったく同じ。私は中国にあるこの力強さみたいなものを、日本に持ってきて活気づけたい。ルールに従順で、周りを気にしていたら変化は起きていかない。もっと燃えるような競争が日本にあってもいいと思う。私はそんな社会を実現させてみたいと思った。

トビタテに関して

そしてもう一つのお知らせ。文部科学省の主催するトビタテ留学JAPANという制度に合格いたしました。帰国してすぐなのですが、今年の10月より、1年間フィリピンでインターンをしてきます。
私がトビタテに応募するきっかけとなったのは、大学一年の頃、所属するアイセックという学生団体の活動でフィリピンでのインターンシップを経験したことです。帰国したあとも、もう一度フィリピンに行きたい。という気持ちをずっと持ちながら過ごしていました。そこで、交換留学中ではあったけれど、トビタテに応募をすることに決めました。
トビタテ留学の応募書類を書いていたのは、東南アジアをバックパックしていた時。疲れている中で書類を書くのはかなりしんどい部分があったのですが、一度自分で決めたことは全力でやり遂げると決めていました。中途半端にやって後悔をしたことが今まで何度もあったので、そんな過去の自分との決別という意味も込めていました。
面接の時は、一時帰国をしました。面接は受けただけでも、非常に学ぶことが多かったと思っています。6人でディスカッションをした際に、それぞれの方の留学計画を知りました。どれもユニークな留学計画で、まるで自分の計画が普通すぎるんじゃないんだろうかと、思ってしまったぐらいです。ユニークな考えと熱い気持ちを持った多くの学生と知り合えたことが、トビタテに対する自分の想いをさらに強くしました。ディスカッションの際、かなり痛い部分を突かれて、そんなに自信があったわけではないのですが、最終的に合格という結果をいただくことができ、非常に嬉しかったです。
トビタテの魅力は、もちろん奨学金をもらえるという意味もありますが、私は何よりもそこに集まる『人』に対して、強い価値を感じています。自分の志を持って、それぞれの部分に尖った学生と出会えることは、自分自身の励みにもなります。
トビタテの書類を書く際は、自分自身は何がしたいのか、自問自答をし続けました。最終的にそこに対して明確な答えは見つかったわけではなく、それも正直に書きました。その上で、自分の背中を押してもらえたことに感謝しております。最後は熱意を評価してもらえたのかなと、思っています。
 
まだ初めの一歩を踏み出したにすぎませんが、準備を怠らず、これからも日々に全力で取り組んでいきたいと思っています。
8期の応募も開始したみたいです。海外に行きたいと思っている方、ぜひ応募してみてください。成績も関係ないです。熱意があれば受かります。

小米之家。

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小米という企業、ご存知だろうか。中国では知らない人はいない。新興家電メーカーである。

www.mi.com

公式ホームページ。

 

本日は私が小米之家に訪れた際の体験記を書いておく。

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店内の雰囲気はこんな感じ。まあ、基本はアップルストアのような感じである。

 

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これは小米の最新式のスマートフォン。ダブルレンズで2900元。IPhoneの半額でほぼ同じスペックを搭載していて、コスパは相当いい。もともと小米はスマートフォンから出発した企業。現在中国でのシェアは第4位。多角化を進める今でもスマートフォンは小米にとって最も重要な部門の一つである。

forbesjapan.com

詳しくはこの記事からどうぞ!

 

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 PC、テレビ、イアホン、炊飯器など、様々なモノを販売している。炊飯器に関しては、元三洋の日本人技術者が開発したものとして有名。

 

中国の新興企業小米。非常に面白いので中国に訪れた際はぜひ立ち寄ってみてもいいかもしれない。

中国留学終了のお知らせ

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もう、まとめの時期になってしまいました。中国に来たのはまだついこの間だったきがするのだけれど、気づいて見ればもう帰国がすぐそこまで迫ってます。学校の授業も終了し、今はちょっとのんびりしています。ここら辺で、留学経験をまとめておこうかと思います。時間があったらもう少し書いて行きたいです。

 

中国留学経験

留学に関しては、中国にこれて本当に良かったと思っています。最初は、明確な目的が存在しておらず、かなり迷った部分もあったのですが、中国における1年間で学び取ったものは計り知れないぐらい大きかったです。語学力の向上はもちろんのこと、大切な人も仲間もたくさんできました。

 

中国ってどんな国

この質問に対する自分なりの答えを見つけ出したい。留学に行く前から、そうずっとそう思っていました。政治のトピックで話題になることが多い中国。でも、実際の中国ってどんな国なんだろうという疑問を持ち続けていました。

1年をかけて出した自分なりの答えとして、中国ってどんな場所?って聞かれたら、それは『アイディアの宝庫』なのかなって思うんです。自分が留学前に抱いていたイメージとは、かなりかけ離れています。

私にとっては、中国はもうめちゃくちゃ面白い国。現金使わないし、シェアリングめっちゃ広まってて、成都みたいな大きい街でもそこら中に自転車がある。もうなんでもありなんだなあーって。

政府の力が強いのは事実だけど、だからと言って規制が強いのかって行ったらそうでもない。知的財産権とかもほぼ無いに等しいから、良いアイデアは盗むのが当たり前。だから、とにかく新しいアイディアの連続。こういう場所からイノベーションって起こるんだろうなと感じました。

日本で10年かかることが、3年で済んでしまう。本当にそんな感じで、時間の流れがめちゃくちゃ早い。中国の企業は投資額が半端ないのだけれど、これは中国にいたら割と当たり前の考え方。企業は余裕持ってお金貯めてる場合じゃない。お金があるなら、さらに新しいものを生み出していかなければならない。さもなくばすぐに淘汰されてしまう。アイディアが命とはまさにこのことだと感じています。
www.businessinsider.jp

ファーウェイは中国を代表する企業。研究開発費がとりあえず半端ないです。

 

世界の工場としての中国

自分のIPhone6が壊れて修理してもらった際、そこで中国の世界の工場としての存在を実感しました。

鸿海製(富智康製)がいい?それとも、他のメーカーでいい?

これIPhone6でしょ?6sにできるよ。

と言われた時、製造業の国際分業はここまで来たのかと、かなり度肝を抜かれました。中国には、スマートフォンに必要なあらゆる部品が揃っています。ちょっと勉強すれば、自分特製スマートフォンも作れるんじゃないかと思うくらいです。

 

世界の市場としての中国

世界の市場という言葉は、きっと今の中国にぴったりの言葉。中国に来れば、世界中のメーカーに出会える。日本企業だけが市場を独占するような日本とは全く違う。

例えば、中国ではトヨタ、ホンダ、日産の比較で車を買うのではなくて、はじめに国ごとに比較をする。その後にメーカーの比較をすると行った形。中国では、日本で見たこともない車がたくさん走っている。車好きの私にとっては、あまりにも魅力的だった。

 

まとめ

世界一の市場を目指して、世界中の企業、アイディアが集まる宝庫。それが中国なんじゃないのか。っていうが、今の自分なりの答えです。

世界中のアイディアとモノが集まるこの国でビジネスをしたいなと、本気でそう思いました。深圳や广州,香港,澳门が集まる、珠江デルタにとりあえず今はめちゃくちゃ行きたいですね。

 

HUAWEIP10とSONY

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今日は一人で成都の街をふらふらと。

 

現地視察といったところだろうか。人の流れとかを見ていた。

 

その途中、街の中心にHUAWEIのブースがあって、たくさんの人だかりができているのを発見した。

 

興味があって見てみると、そこにはHUAWEIP10の姿が!

 

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iPhone7とほぼ同じサイズで、デザインも洗練されている上に、カメラが2つ!!

 

もともと私はHUAWEI P9を使っているが、とりあえずカメラの質がいい。しかし、少し大きく持ちづらいというのが欠点だと感じていた。

 

しかし、今回はその欠点をなくした上で、いい部分は残されている。

 

形もIPhoneにかなり似ているので、IPhoneのパワーアップバージョンではないかと感じるほどだ。

 

正直なところ、IPhone7に比べて魅力的だ。HUAWEIP10はカメラの画質が良い上に、指紋認証も非常に早い。価格までお手頃である。

 

一目惚れだ。

 

詳しくはこのサイトで。中国版です。

http://consumer.huawei.com/cn/mobile-phones/p10/index.htm

 

 

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さらに、今日成都の街の中心でSONYショップを発見した。

 

成都の中心にあるものの、場所が悪すぎて人は誰もいない。そもそも入りづらい。店員は中で遊んでいる。

 

中国人は一般的に人がたくさんいるところ=いい場所。人がいないところ=よくない場所 

 

という考え方を持っている。

 

だでさえ、中国では知名度がそんなに高くないソニーがこんな場所に、、、。

 

なんというか、中国分かってないなー、、と思い、ちょっとがっかり。中にもイヤホンだけしかないから、おそらく代理店なのだろうと思う。

 

もう少し立地とか考えて出店してほしかったな。

 

SONYは個人的に大好きなメーカーです。就職したいと思うぐらいに笑。

 

今まで中国で日本製品があんまり売れないのは、政治的な問題が絡んでいるものだと思っていた。

 

でも、こっちに来て分かった。本質的にはそうではない。

 

友達に中国って日本車少ないねって聞くと、『日本車は格好が悪い。中国人は日本車のデザインがあんまり好きじゃないんだよ。』という答えが大体帰ってくる。

 

正直、政治の問題はそれほど関係ない。

 

中国人は、『手頃な価格で、デザイン性に優れ、品質が良いものを買う。』これが全てだろう。

 

中国で無印良品ユニクロ、そしてMINISOが売れているのはこういった理由からだと思う。

 

日本企業は中国でのビジネスが下手だから、売れない。SONYなんかいいもの持っているのに、勿体無いなといつも思ってしまうんです。対照的に、HUAWEISUMSUNGは話題にするのが非常に上手なイメージがありますね!

 

これから中国はどんどん豊かな国になってくるだろう。

 

今までは富裕層と貧困層の格差が非常に大きかったけれど、これからは中間層がどんどん伸びてくるんじゃないかなー。と、個人的には感じている。

 

市場が伸びてる今なら、まだチャンスはある。

 

是非是非、頑張っていただきたい。

 

(ビジネスを何も知らないのに、でしゃばって申しわけありませんでした。個人的な感想ということで)

 

追記:ここのソニー店舗なくなりました。

将来に悩む、20歳の自分。

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トビタテ留学の書類を書きながら、迷う自分の心を今、書いておきたい。

 

今、こんなに迷って、苦しんでいることを、10年後の自分はどう見るんだろう。

 

こんなに迷うのは、もしかしたら今しかないかもしれないから、この大切な今を記録として残しておきたい。

 

 

『あなたは留学を通して、どんな自分になりたいですか』

 

今の僕は、これを見てすごく悩んでいる。正直、面接官がが望んでいるような、『正解』を書くことができない。

 

嘘の記述を書いて書類を通すことはできるかもしれないけど、そんなことしたって、どうせ面接でばれるだろうから。

 

僕は自分の心に嘘をつくのは、苦手。

  

俺って、本当に何がしたいの。

 

心から好きなことって何なのだろう。

 

やりたいことはたくさんある。

 

でも、僕のやりたいことなんて、結局興味ぐらいなのかもしれない。

 

そんなに具体的になんて書けない。

 

 

 

 さらに、これ。

 

あなたは、将来日本の産業界のどの部分でどのように貢献したいと思っていますか 

 

僕は日本人であることを誇りに思っているし、好きだ。

 

将来日本社会に貢献したい気持ちだって、強くある。

 

でも、こんなに具体的に書くことなんてできない。

 

 

 

俺って昔から好きなこと、なんだったかな?

 

僕は昔から好きなのは、『新しいことを学ぶこと。』だった。

 

小さい頃は生き物が大好きで、いつも魚図鑑や昆虫図鑑を見て、自分が撮ってきたのは何か確認していた。

 

たまに、珍しいのが取れると、本当に嬉しかった。

 

中学生ぐらいになると、歴史が好きになった。日本の戦国時代の武将の名前を完全にコンプリートして、城を回ったりもした。

 

その後は、政治、経済にも興味を持つようになった。

 

そして、僕は政治経済学部に入学することを決めた。

 

大学に入っても、いろいろしてみた。失敗もたくさんあったけど、毎日充実してた。いろんなことを、学んだ。

 

その学んだことの中で、とりわけ大きかったこと。

 

それは、『自分の好きなことを追うのが最も幸せで楽しい』、ということだったかもしれない。 

 

dutoit6.com

 

この記事がそれをうまく説明してくれている。

 

僕は、この事実を知ってから、『好きなこと』を追うことに決めた。

 

中国留学もフィリピンへのボランティアも全部自分が好きで始めたことだったけど、最初からそんなにしっかりとした理由なんてなかった。

 

フィリピンの時は、とりあえず、海外にすごく行ってみたかった。中国留学は、中国知ってたら、将来得するだろうな、とか、日本より絶対いい!って思ったからだ。東南アジアをバックパックしたことも、その中の一つだった。

 

この選択には、全く後悔していなかったし、何も間違いはなかった。

 

僕が昔から好きだった、

 

『新しいことを学ぶこと』

 

これを通して、確かに僕の夢は少しずつ形作られている。

 

もっと『開発学を勉強してみたい』ことや、『フィリピンやカンボジアをはじめとした、途上国の発展に貢献していきたいこと。』

 

こういった思いは確実に僕の心の中にあって、今回のトビタテ申請でも、こんな感じで書いている。

 

でもまだ、僕のやりたいことって、すごーく『ふわふわ』していて、

 

どうやら、このプログラムが求めているのは、すでにやりたいことが決まっている人のようだ。

 

自由だけど、とても難しい。

 

僕の今回のトビタテ申請は、ある意味、就活に対する『逃げ』でもある。

 

今の僕が就活で話せるような、すごいネタなんて何にも持ってない。

 

そもそも、軸がしっかりしてないから、何を選べばいいのかわからない。

 

もう少し、自分の好きを追ってみたい。

  

『あなたは留学を通して、どんな自分になりたいですか』

 

 

今の僕の心の中を一言で言うならば、

 

『所属に関係がなく現場に変化を生んで、世界のどんな場所でも活躍できる人材になりたい。』

 

と、いったところだろうか。

 

でもまだ、本当に未完成だ。

 

かなり抽象的な文だなあと、個人的には思っている。

  

 

しっかりとした夢を持ってて、それが自分の好きなことで、追い続けられる人が今の私には羨ましい。

 

 

タイムリミットは、もうすぐそこにまで迫っている。 

 

 

 

 

ベトナムとは

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私が今回の旅で初めて行った国、ベトナム。

 

中国の南寧から、陸路を越えてベトナムへと行ったわけであったが、南寧はベトナムに似た中国の街という感じだった。

 

ベトナムのものが押し寄せ、交易の街として栄えていた。

 

ベトナムを感じたのは、ここから。

 

ベトナムは英語で書くと、ViteNam(Viet→越、Nam→南)という意味だそうだ。

 

中国語や日本語ではベトナムを漢字で『越南』と表記する。

 

ベトナムは現在でさえローマ字を使った表記だが、過去は漢字を使っていた漢字文化圏の一つなのである。

※中国の漢字文化圏は、日本、朝鮮、台湾、ベトナムである。

 

よって、中国文化が非常に強いのが一つの特徴である、

 

一方で、ベトナムは1885年より約60年間、フランスに植民地統治をされていた国家でもある。

※これは日本による台湾統治とほぼ同じ期間。

 

フランスの植民地支配によるベトナムの影響は計り知れないほどに大きい。

 

それは、現在のベトナムの発展を大きく阻害している一つの要因であると、感じざるえない。

 

 歴史

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ベトナムの歴史を詳しく知っている人は、一体どれぐらいいるだろうか。一般的に学校で学ぶのはベトナム戦争のことぐらい。しかし、実際にはベトナム近代史の流れが理解できなければ、おそらくベトナム戦争をはっきりと理解することさえ難しいだろう。

ここでは、一般教養程度にベトナムの近代史を解説していきたい。

 

1802年、ベトナムでは阮朝が成立する。

 

1804年嘉慶帝から越南国王に封ぜられて、ベトナム国(越南国)を正式の国号とした。阮朝は中国に朝貢を行って形式上従属した。

 

1840年、アヘン戦争が勃発し、清帝国がイギリスに敗北する。これは、清を宗主国とするベトナムにとっても、非常に大きな出来事だった。

 

1841年、フランスが阮朝に開国を求めるも、鎖国政策に変更はなく、来航したフランス軍艦が国書の伝達を請求したが、阮朝はこれを拒否。さらに海上防備を固め、ついにはフランス軍艦の砲撃が開始され、ダナン港で阮朝艦船5隻を撃沈する武力衝突に発展した。

 

 

1847年、フランスは、以前として鎖国政策へ頑なな阮朝への武力衝突を決意した。この後ベトナムの植民地化を図るフランスと阮朝との戦争は約40年近くに及んだ。

 

1884年、甲申条約によってベトナムを保護国化した。

 

1885年、ベトナムへの宗主権を主張してこれを認めない朝を清仏戦争で撃破し、天津条約で清の宗主権を否定した。

 

1887年、フランスはインドシナ連邦を成立させ、ベトナムはカンボジアとともに連邦に組み込まれ、フランスの植民地となった。阮朝は植民地支配下で存続していた。

 

1939年ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発する。

 

1940年フランスが降伏すると、日本軍フランス領インドシナに進駐した 。

 

1945年、日本軍が降伏。ベトナムは無政府状態となり、同年9月2日ホー・チ・ミンはハノイにおいてベトナム独立宣言を発表し、ベトナム民主共和国を建国して国家主席兼首相に就任した。

※ベトナムで最も愛されているホーチミンが、歴史上の大舞台に登場してくるのは、この時からだ。

 

1946年、インドシナ連邦の領有権を主張するフランスとベトナムとの交渉は決裂し、インドシナ戦争が勃発する。フランスとベトナムの戦争は、約7年間に及んんだ。

 

1954年ディエンビエンフーの戦いでフランス軍に決定的な打撃を与えたベトナムは、ジュネーヴ協定を締結し、フランス軍は70年に及ぶ植民地支配の末に、インドシナ半島から撤退した。

しかし、このジュネーブ協定は北緯54度線を境界として南北ベトナムを分断するものであり、南北統一のための総選挙を1956年7月までに実施するという内容だった。

※この時、北側は社会主義国家、南側は資本主義国家であった。

 

1959年、条約通りに統一選挙が実施されないことに不満をもったホーチミンは、南ベトナム解放戦線を結成し、南ベトナムに進行。ベトナム統一戦争、通称ベトナム戦争が始まった。

 

1964年、ベトナムの共産化を恐れたアメリカが大規模な軍事介入を決定した。

 

1975年、アメリカ軍が撤退し、弱体化した南ベトナムの首都サイゴンが陥落。ここにベトナム戦争が終結すし、翌年にベトナム社会主義共和国が誕生する。 

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1978年、カンボジアによる多くの国境侵犯から、カンボジアへ侵攻を開始する。 

 

1979年、カンボジアへの進行をした報復として、中国がベトナムに侵攻。中越戦争が勃発する。しかし、ベトナム軍は戦争経験豊富であり、中国軍を相手に善戦し、退ける。

※この戦争による理由から、今でもベトナム人は中国を嫌っている人が多い。

 

1986年、ドイモイ政策を開始し、国内経済を解放する。ここから、ベトナムの発展はスタートする。

 

 文化

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 ベトナム文化の魅力は、中国文化とフランス文化の融合した部分にあるのではないだろうか。

 

街のいたるところに、フランス建築があり、その影響を垣間見ることができる。ハノイの町並みは、フランス建築を基本として構成されている。

 

一方で、漢字の書かれた寺院が街中に沢山ある。

 

ローマ字の書かれた寺を見たときは、そこに大きな違和感を感じるほどであった。

 

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そして、この大量のバイク。これはまさに今のベトナムを象徴しているものだ。

 

ホンダ製のバイクが町中を回っている。 

 

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ホーチミンは、『ほーおじさん』と呼ばれていて、国民から愛されている。

 

 人

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ベトナム人はというと、すごく明るい民族。私は学校の仲で、一番ベトナム人と仲がいい。

 

ベトナム人、明るすぎるぐらいだけど、大好きだな。

 

友達になれば、すごい味方になってくれる。

 

そして、コミュニティがとても強い民族。個人という感覚は薄く、共同という感覚を強く持っている。

 

ご飯をみんなで分けて食べるのも、ベトナム流。

 

いい人ばっかりなんだけど、現地に行って買い物をする時は、要注意。

 

相手が外国人だとわかったら、ほぼ絶対にぼったくろうとしてくる。

 

ベトナムでの買い物は一番大変だった。。

 

値段交渉とベトナム旅行はセットだと思っておいて、間違いない。

 

そして、スマホなくしたときも大変だった。

 

警察が本当にだるそうにやってて、仕事したくないので、町中歩き回された。

 

のんびりなんです、基本的には。 

 

ベトナム料理 

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 ベトナム料理を代表する『フォー』。ベトナム料理は本当に美味しい。

 

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これもめちゃうまい。春巻きでございます。

 

日本との関係

ベトナム人はかなり日本好き。他のアジアの国々に比べても日本製品は非常に人気がある。

 

町中で良く見かけるは、ソニーショップやホンダのバイク。

 

特に、ホーチミンはすごかった。

 

あちこちに日本人がいて、日本食店が並ぶ街道もある。

 

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ホーチミン中心部では、JICAも大々的に地下鉄プロジェクトを行っていた。

 

将来性 

私が行った四カ国(タイ、ラオス、カンボジア、ベトナム)の中で、ベトナムは最も将来性があると感じた。

 

高速道路も地下鉄もないが、大量のバイクと人々の中に、今まさに発展をしているベトナムの姿を感じ取ることができた。

 

特にホーチミンは今建設ラッシュで、新しいビルやデパートが次々建設されている。

 

あと、数十年のうちに、この街は大きくその姿を変えるだろう。

 

 

結論

一番疲れたのはベトナムだったが、一番魅力的だったのもまた、ベトナムだった。

 

友達も多いので、またぜひこの国に訪れたいと思う。

 

次はもう少し、ゆっくり観光できればいいなあ。

 

 

 

旅とは一体何なのか。今になって、感じること。

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一ヶ月半の旅が終了した。学校に帰ったものの、ここには誰もいない。みな春節で家に帰ってしまったのだ、お店もやっていないので、今の私はというと、近くのコンビニでカップラーメンを買い込んだ。

 

ちょうどいい、今日はブログを書こうと思う。

 

一ヶ月半の旅が終了した。ざっと路線を書いてみると、上記のようになる。

 

結構長かったな。

 

正直、後半はかなり疲れきってしまっていて、早く家に帰りたいな。そんな気分であった。

 

さて、主題に入って、『旅とは、一体何なのか。』

 

私の周りの人は旅好きな人がすごく多い。

 

それに感化されて私も今回バックパッカーとして、東南アジア及び中国を回ることにした。

 

当初の目的は、『現地視察』といったところだろうか。

 

東南アジアにおける日本や中国の影響をみてみたい。そんな目的意識を持って、飛び出した。

 

終わってみて、結局のところは、何だったのか?

 

確かに現地をみて、思ったところはたくさんあった。(それはこれからまた更新します。)

 

しかし、何を考えてた時間が一番多かったかというと、『自分のこと。』だった。

 

旅ってもしかしたら、『究極の自分探し』なんじゃないんだろうか。

 

そう、思った。

 

俺って今、何しているんだ。

 

そう思うことも多かった。

 

一人で観光地をみても、そこにあまり感動は覚えなかった。

 

そんなことよりも、人の動作とか、声とか、街の景色とか、そういうものの方が目に入ってきた。

 

社会の矛盾のようなものも同時に感じていた。

 

特に一人だと、普段は見えないものが見えてきたりする。

 

 

 

 

街の隅々にまで、目が回って、自分ってこんなに小さかったのかと、たくさんいる中の一人として、自分が認識された

 

その小さな小さな一人の人間として、私はこの世界に一体何を残せるんだろう。

 

自分のやりたいこと、一体なんだろう。

 

私はそんなことをずっと考えていた。

 

あまりにも選択肢が多いこの世の中の中で、人生に迷う人はきっと多い。

 

私もその中の一人だ。

 

だから、旅をしたくなったんだと、

 

世界を見れば、何か変わるんじゃないかって。

 

そんな希望を持ちながら、自分と対話してたんじゃないかって、今になって思う。

 

 

 

 

 

 

 

実際に行くことってめちゃくちゃ大切だ。百聞は一見に如ず。タイに来て気づいたこと。

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ラオスのルアンプラバーンから、タイのチェンマイまで、人生で一番過酷だったバスの旅を越えてやってきた。(後ほど、ブログで説明いたします。)

 

タイに入って、まず最初に感じたこと。

 

『タイって発展してるなー。』ということである。

 

道路が綺麗になった。ラオスからやってきたからだろうか。そのギャップに驚いた。

 

タイには他の東南アジアの国々と決定的に違う部分が一つある。

 

それは、東南アジアの中で『唯一、列強の植民地にされなかった国家』である、ということだ。

 

この国にいると、それに対する誇りのようなものを感じることが多々有る。

 

実際に他の国に見られたようなフランス様式のコロニアル建築を見ることもなくなった。

 

今の私はタイ王国の偉大さに少し感じ入っている。タイがタイであり得たのは、まさにこの部分であるし、それがこの国の世界における地位と魅力を作り出しているのだろう。

 

逆に言えば、植民地にされることが何を意味するのか。

 

その国がその国であり得ない。それは、本当に恐ろしいことだと改めて感じた。

 

私は東南アジアにやってきて、実に多くのものを見た。

 

その国を実際に見て初めて、聞いたことや読んだことに納得がいくようになり、『なぜ?』が理解できるようになった。

 

さらに 、自分の頭で考え、予想することが可能になる。

 

これを知り得たのは、今回の旅の大きな収穫だ。

 

これから私はバンコクへ向かう。

 

そこにどんな発見が待っているのか。心のワクワクが止まらない。