ベトナムとは
私が今回の旅で初めて行った国、ベトナム。
中国の南寧から、陸路を越えてベトナムへと行ったわけであったが、南寧はベトナムに似た中国の街という感じだった。
ベトナムのものが押し寄せ、交易の街として栄えていた。
ベトナムを感じたのは、ここから。
ベトナムは英語で書くと、ViteNam(Viet→越、Nam→南)という意味だそうだ。
中国語や日本語ではベトナムを漢字で『越南』と表記する。
ベトナムは現在でさえローマ字を使った表記だが、過去は漢字を使っていた漢字文化圏の一つなのである。
※中国の漢字文化圏は、日本、朝鮮、台湾、ベトナムである。
よって、中国文化が非常に強いのが一つの特徴である、
一方で、ベトナムは1885年より約60年間、フランスに植民地統治をされていた国家でもある。
※これは日本による台湾統治とほぼ同じ期間。
フランスの植民地支配によるベトナムの影響は計り知れないほどに大きい。
それは、現在のベトナムの発展を大きく阻害している一つの要因であると、感じざるえない。
歴史
ベトナムの歴史を詳しく知っている人は、一体どれぐらいいるだろうか。一般的に学校で学ぶのはベトナム戦争のことぐらい。しかし、実際にはベトナム近代史の流れが理解できなければ、おそらくベトナム戦争をはっきりと理解することさえ難しいだろう。
ここでは、一般教養程度にベトナムの近代史を解説していきたい。
1802年、ベトナムでは阮朝が成立する。
1804年、清の嘉慶帝から越南国王に封ぜられて、ベトナム国(越南国)を正式の国号とした。阮朝は中国に朝貢を行って形式上従属した。
1840年、アヘン戦争が勃発し、清帝国がイギリスに敗北する。これは、清を宗主国とするベトナムにとっても、非常に大きな出来事だった。
1841年、フランスが阮朝に開国を求めるも、鎖国政策に変更はなく、来航したフランス軍艦が国書の伝達を請求したが、阮朝はこれを拒否。さらに海上防備を固め、ついにはフランス軍艦の砲撃が開始され、ダナン港で阮朝艦船5隻を撃沈する武力衝突に発展した。
1847年、フランスは、以前として鎖国政策へ頑なな阮朝への武力衝突を決意した。この後、ベトナムの植民地化を図るフランスと阮朝との戦争は約40年近くに及んだ。
1884年、甲申条約によってベトナムを保護国化した。
1885年、ベトナムへの宗主権を主張してこれを認めない清朝を清仏戦争で撃破し、天津条約で清の宗主権を否定した。
1887年、フランスはインドシナ連邦を成立させ、ベトナムはカンボジアとともに連邦に組み込まれ、フランスの植民地となった。阮朝は植民地支配下で存続していた。
1940年、フランスが降伏すると、日本軍がフランス領インドシナに進駐した 。
1945年、日本軍が降伏。ベトナムは無政府状態となり、同年9月2日、ホー・チ・ミンはハノイにおいてベトナム独立宣言を発表し、ベトナム民主共和国を建国して国家主席兼首相に就任した。
※ベトナムで最も愛されているホーチミンが、歴史上の大舞台に登場してくるのは、この時からだ。
1946年、インドシナ連邦の領有権を主張するフランスとベトナムとの交渉は決裂し、インドシナ戦争が勃発する。フランスとベトナムの戦争は、約7年間に及んんだ。
1954年、ディエンビエンフーの戦いでフランス軍に決定的な打撃を与えたベトナムは、ジュネーヴ協定を締結し、フランス軍は70年に及ぶ植民地支配の末に、インドシナ半島から撤退した。
しかし、このジュネーブ協定は北緯54度線を境界として南北ベトナムを分断するものであり、南北統一のための総選挙を1956年7月までに実施するという内容だった。
※この時、北側は社会主義国家、南側は資本主義国家であった。
1959年、条約通りに統一選挙が実施されないことに不満をもったホーチミンは、南ベトナム解放戦線を結成し、南ベトナムに進行。ベトナム統一戦争、通称ベトナム戦争が始まった。
1964年、ベトナムの共産化を恐れたアメリカが大規模な軍事介入を決定した。
1975年、アメリカ軍が撤退し、弱体化した南ベトナムの首都サイゴンが陥落。ここにベトナム戦争が終結すし、翌年にベトナム社会主義共和国が誕生する。
1978年、カンボジアによる多くの国境侵犯から、カンボジアへ侵攻を開始する。
1979年、カンボジアへの進行をした報復として、中国がベトナムに侵攻。中越戦争が勃発する。しかし、ベトナム軍は戦争経験豊富であり、中国軍を相手に善戦し、退ける。
※この戦争による理由から、今でもベトナム人は中国を嫌っている人が多い。
1986年、ドイモイ政策を開始し、国内経済を解放する。ここから、ベトナムの発展はスタートする。
文化
ベトナム文化の魅力は、中国文化とフランス文化の融合した部分にあるのではないだろうか。
街のいたるところに、フランス建築があり、その影響を垣間見ることができる。ハノイの町並みは、フランス建築を基本として構成されている。
一方で、漢字の書かれた寺院が街中に沢山ある。
ローマ字の書かれた寺を見たときは、そこに大きな違和感を感じるほどであった。
そして、この大量のバイク。これはまさに今のベトナムを象徴しているものだ。
ホンダ製のバイクが町中を回っている。
ホーチミンは、『ほーおじさん』と呼ばれていて、国民から愛されている。
人
ベトナム人はというと、すごく明るい民族。私は学校の仲で、一番ベトナム人と仲がいい。
ベトナム人、明るすぎるぐらいだけど、大好きだな。
友達になれば、すごい味方になってくれる。
そして、コミュニティがとても強い民族。個人という感覚は薄く、共同という感覚を強く持っている。
ご飯をみんなで分けて食べるのも、ベトナム流。
いい人ばっかりなんだけど、現地に行って買い物をする時は、要注意。
相手が外国人だとわかったら、ほぼ絶対にぼったくろうとしてくる。
ベトナムでの買い物は一番大変だった。。
値段交渉とベトナム旅行はセットだと思っておいて、間違いない。
そして、スマホなくしたときも大変だった。
警察が本当にだるそうにやってて、仕事したくないので、町中歩き回された。
のんびりなんです、基本的には。
ベトナム料理
ベトナム料理を代表する『フォー』。ベトナム料理は本当に美味しい。
これもめちゃうまい。春巻きでございます。
日本との関係
ベトナム人はかなり日本好き。他のアジアの国々に比べても日本製品は非常に人気がある。
町中で良く見かけるは、ソニーショップやホンダのバイク。
特に、ホーチミンはすごかった。
あちこちに日本人がいて、日本食店が並ぶ街道もある。
ホーチミン中心部では、JICAも大々的に地下鉄プロジェクトを行っていた。
将来性
私が行った四カ国(タイ、ラオス、カンボジア、ベトナム)の中で、ベトナムは最も将来性があると感じた。
高速道路も地下鉄もないが、大量のバイクと人々の中に、今まさに発展をしているベトナムの姿を感じ取ることができた。
特にホーチミンは今建設ラッシュで、新しいビルやデパートが次々建設されている。
あと、数十年のうちに、この街は大きくその姿を変えるだろう。
結論
一番疲れたのはベトナムだったが、一番魅力的だったのもまた、ベトナムだった。
友達も多いので、またぜひこの国に訪れたいと思う。
次はもう少し、ゆっくり観光できればいいなあ。